米軍機横浜緑区(現・青葉区)墜落事件から33年
1977年9月27日、千葉県沖の空母「ミッドウェー」にむかって厚木基地を飛び立った米海兵隊所属のファントムジェット機が、エンジン火災を起こし、午後1時20分頃、横浜市緑区(現在の青葉区)荏田の住宅地に墜落、爆発・炎上しました。
火災が広がり、黒煙がきのこ雲のように立ち上がるなかで、付近で仕事をしていた住宅造成工事現場の人たちによる必死の被災者救出活動が行われ、民間人の通報で救急車が到着し2人の幼児を含む9人の重軽傷者が病院に運ばれました。
このとき、米軍から連絡を受けた自衛隊は、救難ヘリコプターを緊急発進させ、10分後には現地上空に到着しましたが、墜落前にパラシュートで脱出した2人の米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰ってしまい、民間人の救助をしませんでした。
青葉病院に収容された林裕一郎くん(3歳)と弟の康弘くん(1歳)は、全身大やけどで夜容態が悪化し、24時50分「おばあちゃん、パパ、ママ バイバイ」の声を残して裕一郎くんが息を引き取り、未明の4時30分に「ポッポッポ」と鳩ぽっぽの歌をかすかに歌いながら康弘くんも亡くなりました。
母親の林和枝さんは、全身火傷で入院加療をつづけましたが、4年4か月後に他界しました。
この悲惨な事件を忘れないように、横須賀市長沢の丘に「平和の母子像」、横浜市港が見える丘公園に「愛の母子像」が立っています。
〈参考〉なくなれ!厚木基地のページ パパママ・バイバイ
火災が広がり、黒煙がきのこ雲のように立ち上がるなかで、付近で仕事をしていた住宅造成工事現場の人たちによる必死の被災者救出活動が行われ、民間人の通報で救急車が到着し2人の幼児を含む9人の重軽傷者が病院に運ばれました。
このとき、米軍から連絡を受けた自衛隊は、救難ヘリコプターを緊急発進させ、10分後には現地上空に到着しましたが、墜落前にパラシュートで脱出した2人の米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰ってしまい、民間人の救助をしませんでした。
青葉病院に収容された林裕一郎くん(3歳)と弟の康弘くん(1歳)は、全身大やけどで夜容態が悪化し、24時50分「おばあちゃん、パパ、ママ バイバイ」の声を残して裕一郎くんが息を引き取り、未明の4時30分に「ポッポッポ」と鳩ぽっぽの歌をかすかに歌いながら康弘くんも亡くなりました。
母親の林和枝さんは、全身火傷で入院加療をつづけましたが、4年4か月後に他界しました。
この悲惨な事件を忘れないように、横須賀市長沢の丘に「平和の母子像」、横浜市港が見える丘公園に「愛の母子像」が立っています。
〈参考〉なくなれ!厚木基地のページ パパママ・バイバイ
タグ:米軍機墜落
2010-09-27 02:06
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