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国境をこえ、かけがえのない「いのちの輝き」

 今日、DAYSフォトジャーナリズム祭 in 赤レンガ倉庫 を観に行きました。
 前回の記事で内容紹介しましたが、私が観た順で再度紹介します。
 DAYSの展示がされている赤レンガ倉庫1号館は、2棟ある赤レンガ倉庫の小さい方の建物です。
 今日は、その1号館脇の広場に消防車がならんでいて、何だろうと思ったら、「横浜防災フェア2013」が開催されていました。
 2階に上がって、休憩スペースの向こうに受付が見えました。中は撮影禁止だと思ったので、入る前にスナップ写真を1枚撮りました。受付で入場料を払い、左手(無料スペース)のアニマルワールド「びっくり動物写真展」を堪能し、その奥の部屋へ移動。
 そこは、沖縄の基地問題を中心にした展示です。最初の「米軍政下で生きる」は、1960年 団塊の子ら(森口豁さん)から1965年 那覇市での中高生の「大行進」(森口)まで、その時代を感じさせる作品がならんでいました。次の「復帰40年目のオキナワ」は、沖縄県高校生文化連盟がまとめた高校生による作品で若い感性を感じました。そして、沖縄タイムス社による報道写真が続きます。私が強い印象を受けたのは、1969年2月4日「B52出ていけ」で、2・4ゼネストに結集した約4万人が嘉手納基地を包囲するなか、爆音を立ててベトナムに飛び立つB52戦略爆撃機の大きな翼です。それから、1959年6月30日、宮森小学校に米軍戦闘機が墜落して多数の死傷者がでた事件で、米兵に担架で運ばれる子どもの痛々しい姿です。
 左側一番奥の部屋は、広河隆一さんが40年間撮り続けた作品をまとめた「チェルノブイリから福島、そして世界の戦場」です。去年のDAYS JAPAN写真展で観た「新・人間の戦場」の作品があり、2002年・パレスチナ西岸地区カランディア検問所でイスラエル兵に対して長時間Vサインをかかげ続けるパレスチナ人女性の写真に目を引かれました。
 右側奥の部屋は「拝啓、震災後を生きる子どもたちへ、大人たちへ」で、爆発した福島第一原発の写真からはじまり、チェルノブイリ原発事故後のウクライナ周辺の村の写真では、農地を放射能で汚染された老夫婦の姿を目に焼き付けました。「福島の人々の声をきく」では、先の見えない避難生活のなかで懸命に生きる母子の写真とコメントを見ました。そして放射能汚染から子どもたちを守りたいと作られた保養施設「沖縄・球美の里」で福島の子どもたちが撮った写真がありました。きれいな海で笑顔で遊ぶ子どもたちの姿が輝いていました。
 右側の次の部屋は、「地球の上に生きる」第9回DAYS国際フォトジャーナリズム大賞受賞作品です。ここに展示されていた作品は、以前私のブログでも紹介しましたので省略します。
 最後に、受付の右側の部屋が「いのちのかたち~誕生・成長・老い・死~」の作品です。宮崎雅子さんの「Mother-いのちが生まれる」「NICUのちいさないのち」を観ると、すべての赤ちゃんが幸せでありますようにと祈る想いがこみあげてきます。ブルース・オズボーンさんの作品は、親子をテーマにしたもので、東日本大震災の被災地で生きる親子の絆を強く感じました。大塚敦子さんの「さよなら、エルマおばあさん」は多発性骨髄腫(血液のガン)を患いながら生きて、穏やかに死を迎える、そんな心を感じる作品でした。
 国境や民族をこえて、「平和に生きたい」と、ささやかな幸せを願う想いが、どの作品群にも共通して感じられました。DAYSフォトジャーナリズム祭 in 横浜赤レンガ倉庫は、8月28日までです。ぜひ足を運んでみてください。
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