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戦後65年の沖縄慰霊の日に思う

 日本の歴史の中で、これほど悲惨な戦争はありませんでした。
 「沖縄戦は物量に優る米軍が洞窟陣地に立てこもって抵抗する日本軍を圧倒した。無差別の砲爆撃は県民1人およそ60発という『鉄の暴風』となって吹き荒れた。軍民およそ20万人(日本側本土出身軍人約6万6000人、沖縄出身軍属約2万8000人、沖縄県一般住民9万4000人、米軍側1万2000人)が犠牲となった。…日本軍は玉砕も降伏も許されず、牛島司令官は首里から摩文仁に司令部を移して戦闘を継続した。本土決戦準備の時間を稼ぐこと、国体を護持すること(天皇制を守る)ためである。このため壕追い出し、食糧強奪、幼児殺害、自決の強要、さまざまな虐待・虐殺などにより死の道連れにされた沖縄県民は、軍人よりも多くの犠牲者を出すことになった。」(『いのちと平和を学ぶ 今日は何の日366日』歴史教育者協議会編から引用)
 戦後65年目の沖縄慰霊の日は、米軍普天間基地「移設」問題の解決が見えぬまま、非戦の誓いを多くの県民が心に刻みました。那覇市の山城さん(80歳)は、「戦後65年がたったが、いまだに米軍基地が存在するなど、戦争が完全に終わったとはいえない。基地がなくなってこそ平和な世の中といえる。慰霊祭を続けることと米軍基地をなくすことは、生き残った者としての使命だと思う」(「沖縄タイムス」記事から)と語っています。
 「沖縄タイム」慰霊の日特別版の記事を紹介します。
http://www.okinawatimes.co.jp/pdf/20100623S001.pdf
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平和 新たな決意
   戦後65年 犠牲者を追悼
 戦後65年を迎える「慰霊の日」の23日、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)が糸満市摩文仁の平和祈念公園で執り行われた。県内外から多数の遺族らが参列し、沖縄戦の犠牲者に追悼の祈りをささげた。
 会場を訪れた県民からは「2度と悲惨な戦争を起こしてはならない」「米軍はいざとなっても沖縄を守ってくれない。早く基地を撤去してほしい」「首相はアメリカに基地はいらないとはっきり言うべきだ」などと訴える声が相次いだ。
 今年4月には米軍普天間飛行場の県外・国外移設を求める県民大会が開催され、超党派の約9万人(主催者発表)が結集。戦後65年経過した今もなお、過重な基地負担の軽減を訴え続ける沖縄の現状がある。
 式典には、菅直人首相が就任後初めて来県、参列し、仲井真弘多知事が平和宣言。会場では、正午の時報に合わせ、参列者が目を閉じて1分間、黙とう。悲惨な戦争で命を落としたすべてのみ霊の冥福を祈る。
 戦没者の名を刻んだ「平和の礎」や糸満市米須の「魂魄の塔」など県内各地の慰霊碑には、朝早くから遺族、子や孫らが訪れ、花を手向けるなど犠牲者をしのび、恒久平和の誓いを新たにした。「平和の礎」には、今年新たに80人(内訳は県内26人、県外53人、海外1人)を刻銘。総数は24万931人となった。 
2010年6月23日「沖縄タイムス」
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