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爆撃 /ハワード・ジン

 日本政府は、日米同盟を基軸に対外政策をすすめていますが、戦後アメリカが行ってきた戦争が正しかったのか、間違っていたのか何ら検証をしてきませんでした。私は、日本の国民のなかで、ベトナム戦争に反対し、アフガニスタン戦争、イラク戦争に反対する世論と行動があったことを知っています。しかし、アメリカのなかでこれらの戦争に反対している市民運動のリーダー的な存在であったハワード・ジンのことを知りませんでした。
 この8月に岩波ブックレットで出版されたハワード・ジンの『爆撃』を読んで、彼がアメリカの市民に対して、戦争における「爆撃」がいかに非人間的なものであって多数の罪のない民間人の犠牲を生み出しているということ、ヒロシマ・ナガサキの原爆投下がどんな政治的な意図があったにしても人道的に許されないことを説いていることを知ってたいへん感銘しました。
 本書の「訳者あとがき」を引用して彼のことを紹介します。
~ハワード・ジン ボストン大学名誉教授は2010年1月27日、講演先において87歳で急逝した。遺作となった本書『爆撃』は、反戦の歴史家ハワード・ジンの原点となった二つの爆撃の検証である。ジンは20歳のとき、「ファシズムと闘う」ため(そして多くの若者と同様、仕事と機会を得るため)志願して軍隊に入り、爆撃手として従軍した。本書でジンは、第二次世界大戦の大義名分に覆い隠されていた事実を検証し、「正義の戦争」などないことを深く怒りをこめて明らかにしている。……1956年、ジョージア州アトランタの黒人女子大学スペルマン・カレッジに赴任したが、50年代半ばから60年代半ばにかけた公民権運動の時代、南部の運動の最前線にあった「SNCC(学生非暴力調整委員会)」にも加わり、学生とともに人種隔離と闘ったジンは、63年に解雇された。翌年ボストン大学に職を得たジンはベトナム反戦運動の先頭に立ち、だれよりも早く明確に米軍の即時撤退を求めた。68年、もう一人の反戦運動家とともに北ベトナムに行って米国人戦争捕虜を解放し、71年にはダニエル・エルズバーグが持ち出した戦争機密の暴露文書(ペンタゴン・ペーパーズ)を預かっている。66年には「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)の招きで来日し、各地で講演した。~
 翻訳はTUP(平和をめざす翻訳者たち)メンバーの岸本和世さん、荒井雅子さんです。
 そして、彼の生前の講演をインターネットで視聴できますので、紹介します。
 Democracy Now ! Japan ( http://democracynow.jp/
 2008年11月4日の大統領選挙の数日後、ハワード・ジンがニューヨーク北部のビンガムトン大学で行った「戦争と社会正義」という講演
 http://democracynow.jp/submov/20090102-1
タグ:空爆
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