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被災地復興支援ボランティアに参加

 5月の連休(5/3~5/8)を利用して、被災地の復興支援をするために全教・教組共闘が石巻市を中心にボランティア活動を行い、その後半の活動に参加してきました。
 5月5日の昼に、宿泊拠点となる松島に到着。日本三景の眺望を誇る松島は、沿岸にある無数の小島が津波を弱めて壊滅的な被害にならず、海岸沿いの商店街が1メートル強浸水したものの、5月には営業を再開して観光地の賑わいが戻ってきたところでした。松島.JPG
 その日は、前任者からの引き継ぎと翌日の計画・打合せで終わり、6日は、3台のバスでボランティアのみなさんを石巻に送り出した後、宿泊人数の確定、中途参加者の受付と案内など本部の留守番係をしました。
 7日は、参加した3人の方と一緒に、石巻市大街道南1丁目の被災者宅の敷地の掃除をしました。掃除といっても、津波が運んできたものは、石巻工業港に隣接する製紙工場の紙パルプを粉々にしたもので、ヘドロと混ざって地表に何層も積もっていたのをはがして取り除く作業です。それは、2時間程度で終わり、少し港に近い住宅街を見てきましたが、1階部分はほぼすべて破壊されて、住めない住宅が多く、かろうじて持ちこたえた住宅に住んでいる人たちも、近くの商店や病院が壊滅状態ですので、不自由な生活が続いています。
 7日の午後は、共同支援センターに集まっている物資を翌日届ける準備をし、その後、日和山公園に行き、高台から石巻湾の沿岸から相当広い範囲が津波で破壊されてしまった惨状を目の当たりにしました。この広い地域でたくさんの方が亡くなられたことを思うと、言葉にならない感情がこみ上げてきました。石巻.JPG
 8日は、女川町の避難所になっている総合体育館に支援物資を届けに行きました。乗車したバスが瓦礫の山が続く石巻の街を過ぎると新緑の映える落ち着いた風景が現れます。女川町は石巻から東に複雑な地形の岬が突き出している位置にあり、岬の南側は松島と同じように大きな津波を逃れたようです。しかし、街の中心部がある女川湾は、凄まじい勢いの津波が駆け上がって、コンクリートの建物さえ根こそぎ倒し、自動車だけでなく重たい鉄道の車両までも丘の上へ運んで置き去りにされていました。
女川町総合体育館には今なお約770人の被災者が避難生活を送っています。1tトラックに積んできた衣類、靴、洗剤、ティッシュ、トイレットペーパー、文具はすぐに品切れになり、もっと積んでくれば良かったと話していました。女川総合体育館.JPG
この6日間で延べ490人余の教職員が私たちのボランティア活動に参加し、土建の方と一緒に家屋の解体作業をされたり、街の広範囲にたまっているヘドロの除去などの重労働もされました。
東日本大震災から2カ月が経とうとしていますが、被災地の復興はまだ足がかりさえもつかめていません。行政と民間、市民・労働者が力を合わせて、被災者支援の速度を速める必要があると感じました。

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