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福島の「いま」を見る・考える・・・旅(2)

 Jビレッジをあとにして、楢葉町に入った私たちは、宝鏡寺に向いました。600年の歴史を持つ古刹「宝鏡寺」の住職・早川篤雄さんは40年以上も地元で反原発の運動をされてきましたが、恐れていた原発事故が現実のものとなってしまい、お寺のご本尊様を持ち携えていわき市で避難生活をしています。当日、お寺に住職はいませんでしたが、原発事故の完全賠償をさせる会の佐藤さんに境内を案内してもらいました。楢葉町は2012年8月に警戒区域を解除され避難指示解除準備区域となり、泊まれないが日中の出入りはできるようになり、現在除染作業が進められています。宝鏡寺も除染作業をしたものの、裏山から木の葉や表土が落ちてくればすぐに放射線量が上がってしまい、今は作業をしてないそうです。早川さんがかつてお孫さんとすごした田んぼには、除染作業で出た汚染廃棄物の黒い土のうが積まれていました。静かな農村をこんな姿にしてしまった原発事故の罪深さを痛いほど感じました。
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 楢葉町の北の富岡町はさらに深刻な様相を呈しています。町の北部は今後4年以上帰れない「帰還困難区域」で、放射線量が高く立ち入りができないように柵で覆われています。人口の約3割がこれにあたるといいます。その手前が4年以内の帰還を見通せるという「居住制限区域」が人口の約6割ですが、津波と放射能汚染の両方に破壊されたJR富岡駅周辺は、まったく手つかずの状態で、壊れずに残った家屋の荒廃もすすんでいます。かつては桜の名所でにぎわった夜ノ森地区は、「帰還困難区域」との境になっており、放射線量(4~5μ㏜/h)が高いため、車から降りずに窓からゴーストタウンになってしまったその様子をうかがいました。
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 暗くなる前に、来た道をもとに戻り、夜はいわき湯本温泉のホテルに泊まりました。いわき市内にはたくさんの避難者が住んでいて、先の見えない生活のなかでストレスをためていたり困難が続いています。街の様子は表面的には落ち着いているように見えても、賠償について東電との交渉をめぐる問題や津波被災者や漁師の生活再建の問題などが山積しており、避難生活者と住民とのトラブルなども一部に生じているといいます。
 2日目は、避難を余儀なくされた双葉高校、双葉翔陽高校、富岡高校が教室を借りている(サテライト校)いわき明星大学、津波で校舎1階や実習棟、体育館などが壊されて一時は小名浜高校の校舎を借りていた県立いわき海星高校を見て回りました。日曜日で人気はありませんでしたが、様々な困難を乗りこえて学ぶ高校生の姿を想像しました。
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 原発被害と津波被害の被災者を支えて、もとの生活、あるいは新しい生活ができるようになるまで、国と東電、地方行政が最善の努力を払うことを強く願います。現地を視察した私たちは、立ち遅れている現実を多くの人に知ってもらい、福島県内で住む人々の生活と健康の保障、県外に避難している人たちへの支援、原発ゼロ=エネルギー政策転換を実現するまで、声をあげ続けていきたいと思います。
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