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「集団自決」をジェンダーの視点から考える

 明日、6月23日は、戦後66年目の沖縄慰霊の日です。沖縄地上戦の悲劇は、多く語り継がれていますが、なかでも「集団自決」は、生き残った人々も口をつぐむ、悲惨な出来事でした。
 NHKテレビテキスト『歴史は眠らない』2010年12月「沖縄・日本 400年」(小森陽一)を読んで、「集団自決」を強いたものが家父長制を軸とする天皇制にあったことを改めて学びました。
 テキスト50ページ~「集団自決」を強いたものは何だったのか~の内容を紹介します。
 1943年、大本営は「絶対国防圏」を設定し、その後方基地として翌年、陸軍第32軍が沖縄に創設されました。「沖縄人のうち沖縄戦準備に不要とされる者は県外へと転出させられ、それに必要とされる者は動員される」体制がすべての住民に対して行われたといいます。(近藤健一郎『近代沖縄における教育と国民統合』2006年)
 1944年10月10日のアメリカ軍の「十・十空襲」以後、こうした体制はいっそう強化されました。学徒兵として動員された男子生徒は2283名、死亡者は1559名。女子生徒は521名、死亡者は439名でした。「教師や将兵の考え方が、彼女たちの生死を分ける大きな要因」となり、「多くの学徒隊員が徹底した皇民化教育を叩き込まれており、それが多くの犠牲を生んだといえるが、一方で戦場のなかでそうしたものが崩れはじめていたのも事実」だといいます。(林博史『沖縄戦と民衆』2001年)
 徴兵制を契機とした沖縄人の大和人化政策の実施をとおして、歴史的に形成されてきた階層化された権力的関係性の中で、沖縄戦の真相をとらえる宮城晴美さんの指摘は重要です。~座間味島の場合、「集団」で「自決」したのは、家族・親族単位の防空壕が最も多く、犠牲者の83%が女性・子ども(満12歳以下)であった。…その行為者のほとんどが男性であり、男手のある家族ほど犠牲者が多かったことを示す。そこには家族を守らんとする家父長制下の男性の論理があった。つまり…(中略)「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)…。軍民が混在するなか、日本軍から繰り返し住民にもたらされた“憎悪発話”。そして現実に敵を目前としたとき、「自決」できない子どもを先に家族の中の弱者から手にかけ、自らは最後に「自決」することで日本軍の命令に応ずるという、「家長」の権力への隷属的構図があった。自分だけが先に死に、子、妻、母、姉妹を敵の“餌食”にするわけにはいかなかったからだ。「集団自決」は「お互いの殺し合い」ではなく、国家(天皇)→軍隊(軍隊長)→兵事主任→伝令→家長へと流れる命令系統が、戦闘の邪魔になる最も弱い者へと押し寄せた権力による“犯罪”であったと考える。(宮城晴美「座間味島の「集団自決」-ジェンダーの視点から(試論)-」、『沖縄・問いを立てる 4 友軍とガマ 沖縄戦の記憶』2008年、所収)

 私はこれを読んで、天皇を頂点とする家父長制がもたらした、女性・子どもを低く見る思想が、沖縄戦の悲劇の底流にあったことを実感しました。
 私たちは、二度と戦争はしないし、外国軍に基地を提供して戦争に協力することもしない。このことは、沖縄戦でなくなった数多くの人々の霊を慰めるとともに、「平和のうちに生存する権利」を宣言した憲法前文を内外に指し示すことになると思います。
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