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映画『にんげんをかえせ』が転機に~沼田鈴子さん

 今日、ヒロシマ被爆66年の日に、語り伝えたい人がいます。
 広島市平和公園のアオギリの木の下で多くの子どもたちに被爆体験を語り、感銘を与えてくれた沼田鈴子さんです。7月12日の夕刊で、その日の朝心不全で永眠されたことを知りました。享年87歳でした。
 沼田さんは、1945年8月6日、勤め先の広島逓信局で原爆の被害にあい、瓦礫の下敷きになって左足を切断する大けがを負いました。戦後は、広島市で高校の家庭科教師を勤めました。
 沼田さんは、1980年代に10フィート映画運動で作られた原爆記録映画『にんげんをかえせ』に被爆直後の自らの姿があったことを転機に、被爆体験の語り部としての活動を始めました。そして、広島での証言活動にとどまらず、世界中を旅して、平和の種まきを続けてきました。6年前に広島市南区の介護付き老人ホームに入ってからも、車椅子で平和記念公園に出て証言活動を続けました。
 しかし、福島第一原発事故の後、沼田さんはショックで眠れない日々が続き、とうとう食事ができなくなってしまいました。6月1日に広島市内の病院に搬送されましたが、惜しくも7月12日の朝に力尽きました。
 沼田さんは、入院する前に「被爆66周年 8・6ヒロシマのつどい」の呼びかけ人の一人としてパンフレットにメッセージを寄せていました。「今年は被爆66年ですが、今は本当に平和とは言えません。『原発がいつか爆発するのでは・・・・』と私はずっと心配してきました。においも形もないが、残留放射能がどんなに恐ろしいものかしっかり知ってほしいと思います!核兵器廃絶は口先だけの軽い運動ではありません。命にかかわること、いついかなるときに起こるかわからないことを自覚してほしいと思います。被爆国である日本だからこそ、『核施設のような原発はいらない!』と声をあげていくべきではないでしょうか」(要旨)




★沼田さんの被爆体験談は、「ヒロシマの心を伝える会」のホームページで読むことができます。
「(前略)…証言は、私の平和の一粒の種まきです。多くの方々が手をとりあって一粒ずつの種まきの輪をひろげましょう。美しい地球、素晴らしい未来のために、身近なところから、心の種をふやしてまいりましょう。最高の幸せは平和であること。無知であることは、おろかなことにつながります。平和なときこそ、真実をみつめ、狂っている世の中、社会に目をむけ、耳をかたむければ、自分自身の行動がみえるのではないでしょうか。国と国が理解し、民族と民族が信頼し、愛し合えば、心と心は通じあうのではないでしょうか。世界すべての人達が平和で幸せに安心して暮らせるように願ながら、歴史への旅をつづけています。訪問しているところは、アメリカ各地、ヨーロッパ各地、ソ連、マレーシア、シンガポール、ベラウ、フィリピン、ベトナム、アウシュビッツ、中国、韓国、パナマ、沖縄で、韓国、沖縄は毎年訪ねています。最後に出会--感動--発見--出発の四つの言葉を自分の日々の行動につながるものとしております。 」
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