SSブログ

長崎から福島へ~ヒバクシャを生みたくない~

NHK NEWS WEB 「異例の平和宣言 その背景は」8月9日、荒川真帆記者の解説を紹介します。

 9日の平和宣言で長崎市の田上市長は、「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要だ」と述べ、初めて、原発に依存した国のエネルギー政策の転換を求めました。長崎市では戦後一貫して、平和宣言で世界に核廃絶を訴えてきました。ところがことしは、国の原子力政策のあり方に踏み込む異例の宣言となりました。
 長崎市の平和宣言は、被爆者や市民でつくる起草委員会が内容を検討します。これまで同じ原子力とはいえ「軍事利用の原爆」と、「平和利用の原発」は分けて考えられ、過去の平和宣言では原子力の平和利用を推奨する表現が盛り込まれたこともありました。
 今年の議論がスタートしたのは、原発事故からわずか2か月後。議論では被爆地・長崎が、国の原子力政策にどう向き合うかが、最大の焦点となりました。この中で最も意見が分かれたのは、「脱原発」に対する考え方です。起草委員会の委員からは、「被爆地から脱原発を主張すべきだ」という意見が出る一方、「原発と原爆は切り離して考えるべきだ」という慎重な意見もありました。しかし最終的に、平和宣言で「脱原発」の言葉は使わなかったものの、原発に依存しない、安全な社会の道筋を示すことを決めました。
 田上市長は以前、「『ヒバクシャ』を生みたくないと思ってきたのに、『ヒバクシャ』が生まれる状況がある。長崎から『ヒバクシャ』を生まないようにしたいという思いが根っこにある」と話していました。つまり、原子力の平和利用とされる原発も、いったん制御ができなくなれば、多くの人に放射線の影響を与え、『ヒバクシャ』を出してしまうおそれがあること。それが今回の事故で明らかになり、被爆地・長崎として、正面から問題提起することを選んだのです。
 原爆の日の当日、平和公園を訪れた被爆者などに話を聞くと、「私たち自身、放射線の影響を感じてきたので、福島は本当に大変だと思います」とか、「福島の母親たちが、こどもの心配をする気持ちが分かります」などという声が聞かれました。原爆による放射線の怖さを体験した長崎の人たちの中に、原発の被害に苦しむ福島の人たちの気持ちに寄り添いたいという意識があることを強く感じました。
 今回長崎市は、平和宣言という、国内外に強いメッセージを発信する場で、より踏み込んだ表現で、エネルギー政策の転換を訴えました。今後は核廃絶だけでなく、原発という原子力の課題についても被爆地の立場から発信していくことにしています。
*************************************************************
長崎平和宣言

 今年3月、東日本大震災に続く東京電力福島第一原子力発電所の事故に、私たちは愕然(がくぜん)としました。爆発によりむきだしになった原子炉。周辺の町に住民の姿はありません。放射線を逃れて避難した人々が、いつになったら帰ることができるのかもわかりません。
 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅(おび)えることになってしまったのでしょうか。
 自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか・・・・・・
 私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。
 たとえ長期間を要するとしても、より安全なエネルギーを基盤にする社会への転換を図るために、原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を進めることが必要です。

 福島の原発事故が起きるまで、多くの人たちが原子力発電所の安全神話をいつのまにか信じていました。
 世界に2万発以上ある核兵器はどうでしょうか。
 核兵器の抑止力により世界は安全だと信じていないでしょうか。核兵器が使われることはないと思い込んでいないでしょうか。1か所の原発の事故による放射線が社会にこれほど大きな混乱をひきおこしている今、核兵器で人びとを攻撃することが、いかに非人道的なことか、私たちははっきりと理解できるはずです。
 世界の皆さん、考えてみてください。私たちが暮らす都市の上空でヒロシマ・ナガサキの数百倍も強大になった核兵器が炸裂する恐ろしさを。
 人もモノも溶かしてしまうほどの強烈な熱線。建物をも吹き飛ばし押しつぶす凄まじい爆風。廃墟には数え切れないほどの黒焦げの死体が散乱するでしょう。生死のさかいでさまよう人々。傷を負った人々。生存者がいたとしても、強い放射能のために助けに行くこともできません。放射性物質は風に乗り、遠くへ運ばれ、地球は広く汚染されます。そして数十年にもわたり後障害に苦しむ人々を生むことになります。
 そんな苦しみを未来の人たちに経験させることは絶対にできません。核兵器はいらない。核兵器を人類が保有する理由はなにもありません。

 一昨年4月、アメリカのオバマ大統領は、チェコのプラハにおいて「核兵器のない世界」を目指すという演説をおこない、最強の核保有国が示した明確な目標に世界の期待は高まりました。アメリカとロシアの核兵器削減の条約成立など一定の成果はありましたが、その後大きな進展は見られず、新たな模擬核実験を実施するなど逆行する動きさえ見られます。
 オバマ大統領、被爆地を、そして世界の人々を失望させることなく、「核兵器のない世界」の実現に向けたリーダーシップを発揮してください。
 アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国など核保有国をはじめとする国際社会は、今こそ核兵器の全廃を目指す「核兵器禁止条約(NWC)」の締結に向けた努力を始める時です。日本政府には被爆国の政府として、こうした動きを強く推進していくことを求めます。
 日本政府に憲法の不戦と平和の理念に基づく行動をとるよう繰り返し訴えます。
「非核三原則」の法制化と、日本と韓国、北朝鮮を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の創設に取り組んでください。また、高齢化する被爆者の実態に即した援護の充実をはかってください。
 長崎市は今年、国連や日本政府、広島市と連携して、ジュネーブの国連欧州本部に被爆の惨状を伝える資料を展示します。私たちは原子爆弾の破壊の凄まじさ、むごさを世界のたくさんの人々に知ってほしいと願っています。「核兵器のない世界」を求める皆さん、あなたの街でも長崎市と協力して小さな原爆展を開催してください。世界の街角で被爆の写真パネルを展示してください。被爆地とともに手を取り合い、人間が人間らしく生きるために平和の輪をつなげていきましょう。

 1945年8月9日午前11時2分、原子爆弾により長崎の街は壊滅しました。その廃墟から、私たちは平和都市として復興を遂げました。福島の皆さん、希望を失わないでください。東日本の被災地の皆さん、世界が皆さんを応援しています。一日も早い被災地の復興と原発事故の収束を心から願っています。
 原子爆弾により犠牲になられた方々と、東日本大震災により亡くなられた方々に哀悼の意を表し、今後とも広島市と協力し、世界に向けて核兵器廃絶を訴え続けていくことをここに宣言します。

 2011年(平成23年)8月9日
                 長崎市長 田上富久
nice!(28)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 28

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

トラックバック 0