SSブログ

メルトダウン 放射能“大量放出”の真相

 今日(3月16日)、NHKスペシャル「メルトダウン File.4 放射能"大量放出"の真相」を見ました。昨年3月10日に放送された「原子炉“冷却”の死角」に続く福島第一原発事故の検証番組です。
 それを見て私は、2号機の事故で大きな思い違いをしていたことに気付きました。3月11日に私のブログ記事「原発と東日本大震災と放射能汚染」で、「15日の午前0時2分にベントが実施され・・・」と書きましたが、実際にはベント機能が果たされなかったということです。ベントは原子炉の圧力上昇による冷却水注入困難などを解決するために、放射性物質を含む水蒸気を圧力抑制 プール(サプレッションチャンバー)を通して外に放出することです。2号機の建屋が無事だったのは、ベントが行われたためだと思っていましたが、そうではなく別の場所から大量の放射性物質を含む水蒸気が漏れ出したということです。
 2号機について調べ直してみると、政府の事故調査・検証委員会の報告書も、国会の事故調査委員会の報告書も、ベント機能が果たされることはなかったと考えていますが、原子力安全・保安院の報告書「福島第一原子力発電所事故の技術的知見について」には、「ドライウェル(D/W)ベント成功又はPCVからブローアウトパネルを介しての漏えいにより、放射性物質が大量に放出された可能性がある」と記述されていました。※ドライウェルもPCVも「原子炉格納容器」のこと。
 検証番組では、放射性物質の大量放出を防ぐための“最終手段”と位置づけられている「ベント」の思わぬ落とし穴も明らかにされました。圧力抑制 プール(サプチャン)内の水温が上昇すると、放射性物質を含んだ水蒸気が水に戻らずに、大半がそのまま放出してしまうということです。このように福島第一原発は、いくつもの機能不全をおこして、おびただしい量の放射能をまき散らすことになったのです。
002.jpg

原発と東日本大震災と放射能汚染

 今日、3・11東日本大震災から3年目をむかえました。
 私は、世界の貧困や戦争の問題を正面から取り上げているフォトジャーナリズム誌「DAYS JAPAN」の2011年1月号(2010年12月発行)の「浜岡原発 爆発は防げるか」を読んで、地震と津波によって原子力発電所に臨界事故(メルトダウン)が起きることを知り、警鐘を鳴らす必要を感じ、ブログに記事を書きました。
http://s-mituru.blog.so-net.ne.jp/2010-12-21
そして、2011年3月11日の東日本大震災によって恐れていたことが現実になってしまいました。福島第一原発は、電源喪失により原子炉の冷却が不能に陥り、翌日(12日)、1号機が水素爆発を起こし、14日には3号機、15日には4号機の原子炉建屋が爆発しました。建屋が爆発しなかった2号機でも14日の夜には炉心溶融が始まり、15日の午前0時2分にベントが実施され、6時14分に圧力制御室付近で爆発音がありました。大気中に放出された放射性物質は福島県内だけでなく関東地方にも降り注ぎましたが、政府はそのことの重大性を隠してきました。
 DAYS JAPAN 2012年6月号は、「隠される被ばくに立ち向かう」を特集しました。ETV特集「ネットワークでつくられる放射能汚染地図5」に関わったディレスターの手記、チェルノブイリ事故後の子どもたちの病と向き合ってきたベラルーシの母親からのメッセージ「わが子が甲状腺がんを宣告された日」、原爆被爆者の治療を続けてきた肥田舜太郎さんのインタビュー(聞き手・おしどりマコさん)などを掲載し、放射性物質の飛散情報が隠されていたために、半減期が8日と短いヨウ素131による被ばくの実態が把握されていない問題と危険な内部被ばくへの注意を喚起しました。
DAYS2011-12&2012-6.JPG

続きを読む


タグ:Days 原発

真実から目をそらす情報操作 ~映画「フェア・ゲーム」

 少し前の映画ですが「フェア・ゲーム」(製作2010年)をDVDで観ました。イラク戦争の「大義」とされたイラクの大量破壊兵器=核兵器開発の情報への疑惑(核開発計画はなかったこと)をイラク戦争開戦前に調査して明らかにしていたCIA秘密諜報員のヴァレリー・プレイム・ウィルソン(ナオミ・ワッツ)とその夫で元大使のジョー・ウィルソン(ショーン・ペン)が、ホワイトハウスの不正とたたかいます。
 これは実際にアメリカをゆるがした“プレイム事件”を映画化したものです。ヴァレリーには2人の幼い子どもがあり、CIAエージェントとしての激務をかかえながらも、夫の協力を得て家庭を大切にして生活していました。しかし、2003年3月にイラク戦争が始まり、イラクの核開発についての情報がねつ造されたことをジョーがニューヨークタイムズ紙に投稿すると、その妻であるヴァレリーがCIA秘密諜報員であることを暴露されるといった合衆国政府からの報復を受け、見知らぬ人からの脅迫電話などによって平穏な家庭生活を壊されていきます。ホワイトハウスは誤った核開発情報によってイラク戦争をミスリードし、その疑惑から国民の目をそらすために、ヴァレリーをマスコミの餌食にしたのです。
フェアゲーム.jpg
 アメリカの国家権力の中枢による不正を告発し、それとたたかったヴァレリーとジョーの苦闘を描いた作品がこのように映画化されたことに私は驚き、ダグ・リーマン監督とスタッフに尊敬の念を抱きました。

続きを読む


戦争と芸術 ~藤田嗣治の半生~

 今日(2月11日)、民教協スペシャル「嗣治からの手紙 ~画家はなぜ戦争を描いたのか~」を観ました。http://www.minkyo.or.jp/01/2014/01/28_1.html
 民教協は、民間放送教育協会の略称で、放送を通じて教育の機会均等と振興に寄与することを目的として1967年設立され、それぞれの地域を代表する全国34の民間放送局で組織されています。
 藤田嗣治は、1913年(大正2年)フランスに渡り、ピカソやモディリアーニら各国の若い画家との交流で刺激を受け、乳白色のマチエール(絵肌)と独特の線描で、パリの寵児に上りつめました。第2次世界大戦が始まると、日本へ帰国。美術による戦意高揚を図った日本軍の方針に従い、従軍画家として戦地を訪れ、戦闘場面などを生々しく描写した「戦争画」を精力的に描きました。しかし、敗戦後、藤田は「戦争協力者」として非難を浴びせられ、失意の中、日本を離れフランスへ戻り、以後、日本には帰りませんでした。

 藤田嗣治氏は、従軍画家という立場で、戦場のリアリズムを芸術作品として描きました。パリの寵児と呼ばれていた時代と当然画風が変わりますが、彼が日本の戦争を美化するとか、戦況の悪化を隠すとかいうことを考えていたわけではありません。アッツ島玉砕の画は、そのことを物語っています。番組のナレーションでは「画は祈りの対象だった。その祈りは戦意高揚と敵がい心に姿を変え、人々を戦いに駆りたてた」とありましたが、戦地の地獄絵さえも利用する軍部の狡猾さを思わずにはいられません。
20140211_04.JPG

続きを読む


東京都知事選挙と「さよなら、籾井会長!」NHK前抗議アクション

 今日(2月1日)は、午後2時から新宿駅西口で開かれた、東京都知事候補・宇都宮けんじさんの街頭演説を聴きに行き、夕方6時からは、「さよなら、籾井会長!」NHK本局前抗議アクションに参加しました。
 宇都宮けんじさんの政策は、どれもすぐれていますが、安倍政権下で「戦争する国」づくりがすすめられるなかにおいて、「アジアに平和と核廃絶を発信するまち東京をつくります」の政策は、いま大きな注目を浴びています。
 その内容は、①東京からアジアに平和と核廃絶を発信します。アジアの諸都市と連携し、地域の平和をめざします。○東京、北京、ソウルの3都市を結んで、平和と環境の国際会議を都民参加で開催します。○東京、北京、ソウル3都市とASEAN10カ国の首都との交流を通じて、武力によらない紛争解決の規範づくりをめざします。○東京から核兵器のない世界を発信します。全世界で5860都市の首長が加盟している平和首長会議に東京都知事として加盟します。
 ② 靖国参拝、集団的自衛権などアジア諸国の対立を煽る安倍政権の政治を東京から変えます。○特定秘密保護法の廃止をめざし、「知る権利」のモデルとなる東京をつくります。○安倍首相の靖国参拝に抗議し、「戦争の記憶」を風化させず、次の世代に受け継ぐための取り組みを市民の力ですすめます。東京都の平和関係予算を拡充し、「東京平和プロジェクト」を立ちあげます。
005.JPG

続きを読む


「新しい東京を、始めよう」と映画「ひまわり」

 昨日(1月25日)は、東京都知事候補・宇都宮けんじさんの応援で、午後2時からの街頭演説(池袋駅東口)に候補者ビラを撒きながら参加し、そのあと銀座数寄屋橋交差点での対話形式のトーク演説、銀座4丁目交差点から歩行者天国での候補者ウォーク(練り歩きともいう)にも参加しました。宇都宮けんじさんは、都の予算を大型開発優先から福祉・保育優先に変えていくこと、東電・福島原発の最大の電力消費地であった東京が被害者救済のためにできる限りの支援をしていくこと、安倍政権による「戦争する国づくり」に反対し、平和憲法の精神を生かして東京・ソウル・北京の市長会議を開催することなどを訴え、多くの聴衆から声援を受けました。
 私は、そのあと午後7時から、赤羽会館で開かれた映画「ひまわり ~沖縄は忘れない あの日の空を~」上映会に行き、去年から観たいと思っていたこの映画を鑑賞しました。この映画は、以前、私のブログでも記事を書いた、沖縄県石川市(今のうるま市)の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落・炎上して、学童11名、住民6名がなくなり、重軽傷者210名を出す大惨事(1959年6月30日)を取り上げたもので、若者が沖縄の基地問題を学び、ジェット機墜落事件の被害者・遺族の心の痛みを聞き取り、Peace Sky コンサートを企画していくというストーリーです。監督は及川善弘さん、企画・制作は「アンダンテ 稲の旋律」の桂壮三郎さんで、出演は、長塚京三さん、須賀健太さん、能年玲奈さん、福田沙紀さんなど充実した配役です。
 上映会のあとは、宇都宮けんじさんを迎えて、希望のまち北区勝手連のキックオフ集会が開かれ、自民党・安倍政権による辺野古基地建設に「ノー」を突きつけた名護市長選挙の勝利に東京も続いていこうと決意を固め合いました。
008.jpg

続きを読む


福島の「いま」を見る・考える・・・旅(2)

 Jビレッジをあとにして、楢葉町に入った私たちは、宝鏡寺に向いました。600年の歴史を持つ古刹「宝鏡寺」の住職・早川篤雄さんは40年以上も地元で反原発の運動をされてきましたが、恐れていた原発事故が現実のものとなってしまい、お寺のご本尊様を持ち携えていわき市で避難生活をしています。当日、お寺に住職はいませんでしたが、原発事故の完全賠償をさせる会の佐藤さんに境内を案内してもらいました。楢葉町は2012年8月に警戒区域を解除され避難指示解除準備区域となり、泊まれないが日中の出入りはできるようになり、現在除染作業が進められています。宝鏡寺も除染作業をしたものの、裏山から木の葉や表土が落ちてくればすぐに放射線量が上がってしまい、今は作業をしてないそうです。早川さんがかつてお孫さんとすごした田んぼには、除染作業で出た汚染廃棄物の黒い土のうが積まれていました。静かな農村をこんな姿にしてしまった原発事故の罪深さを痛いほど感じました。
016.jpg
 楢葉町の北の富岡町はさらに深刻な様相を呈しています。町の北部は今後4年以上帰れない「帰還困難区域」で、放射線量が高く立ち入りができないように柵で覆われています。人口の約3割がこれにあたるといいます。その手前が4年以内の帰還を見通せるという「居住制限区域」が人口の約6割ですが、津波と放射能汚染の両方に破壊されたJR富岡駅周辺は、まったく手つかずの状態で、壊れずに残った家屋の荒廃もすすんでいます。かつては桜の名所でにぎわった夜ノ森地区は、「帰還困難区域」との境になっており、放射線量(4~5μ㏜/h)が高いため、車から降りずに窓からゴーストタウンになってしまったその様子をうかがいました。
032.jpg
 暗くなる前に、来た道をもとに戻り、夜はいわき湯本温泉のホテルに泊まりました。いわき市内にはたくさんの避難者が住んでいて、先の見えない生活のなかでストレスをためていたり困難が続いています。街の様子は表面的には落ち着いているように見えても、賠償について東電との交渉をめぐる問題や津波被災者や漁師の生活再建の問題などが山積しており、避難生活者と住民とのトラブルなども一部に生じているといいます。

続きを読む


福島の「いま」を見る・考える・・・旅(1)

 12月14日~15日、全国教育文化会館で働く仲間たち9人で、福島の被災地を視察する1泊2日の旅に行きました。1日目は、福島県の南にあるいわき市から北上して、福島第一原発から10㎞に位置する富岡町まで、10人乗りのレンタカーで見て回りました。「ガイドポイント」地図にあるように、津波被害が大きかった四倉から久之浜を最初に訪れました。放射線から子どもたちを守るための屋内の遊び場、地震・津波・火事・原発事故など、いくつもの困難に襲われた商店がおこした「浜風商店街」(久之浜町商工会)が、津波と放射能被害の重さを物語っていました。http://www18.ocn.ne.jp/~hisahama/
 次に行った広野町は、福島第一原発から30㎞圏内に位置し事故当時は全町民が避難しました。2011年9月に、国は広野町の緊急時避難準備区域の解除を発表し、広野町は詳細なモニタリングに基づく除染作業やインフラの整備をすすめてきました。2012年3月には、いわき市に移転していた役場機能を広野町の本庁舎に戻して従来の業務を再開しました。しかし住民は事故当時の人口5400人のうち約2割しか戻らず、小中学校生徒もいわき市内の仮設住宅などからバスで通学しているといいます。町の北部にあるJビレッジ(福島県、東京電力、日本サッカー協会、Jリーグが共同出資して作ったスポーツ施設)は、福島原発事故収束作業にあたる労働者の集結拠点になっています。ビレッジの裏側は除染作業で出た放射能汚染物を詰めた黒い大きな土のうが集められ、広い敷地に3段に積み上げられていました。(次回に続く)
◆被災地・現地視察ガイドポイント(クリックして拡大)
被災地視察ガイドポイント.jpg

続きを読む


日本IBMによるロックアウト解雇を許さない

 12月4日、もう一週間前のことですが、東京・千代田区の日本教育会館で、「許すな!日本IBMのロックアウト解雇 12・4大集会が開かれ、800人が参加しました。私もその一人です。
 集会は、南部合唱団によるうたごえ、コメディアン・松本ヒロさんのオンステージで始まりました。
 そのあと、東京地評議長の伊藤潤一さんが、「日本IBM解雇撤回闘争支援全国連絡会」の結成を宣言し、「日本IBMの乱暴な解雇攻撃は、すべての労働者にかけられた攻撃」だと訴え、全国連絡会への参加を呼びかけました。全労連議長の大黒作治さんは、「どこでも、だれでも解雇できる仕組みづくり、日本IBMはその先導役である。労働組合の存在価値が問われるたたかい。勝つまでたたかいぬこう」と訴えました。JMIU委員長の生熊茂実さんは、「解雇を制限する判例法理の『整理解雇の4要件』をすり抜ける違法・脱法だ。退職強要に反対し雇用を守ってきた労働組合弱体化を狙った解雇でもある」とこの間の経過を報告しました。
 IBM支部と原告が、寸劇で争議に立ち向かう原告家族と支部のたたかいを演じ、「僕は大人になったら、お父さんのように、勇気ある人になりたい」との子どもの作文に拍手がわきおこりました。日本IBM支部委員長の大岡義久さんは「人間の尊厳を奪い、犯罪者のように扱うロックアウト解雇を許せない。紙切れ一枚で首をきられてたまるか」と、たたかう決意を表明し、「集会アピール」を満場の拍手で確認しました。
ロックアウト解雇とたたかう仲間を支える会
20131204.jpg

続きを読む


秘密保護法案の強行採決・成立に抗し、憲法を守り生かすたたかいを

 昨日、参議院で強行採決された「特定秘密保護法案」に対する仁比そうへい議員の反対討論は、圧巻でした。「…同僚議員のみなさん、今この瞬間も立場をこえて国会を包囲し、国のすみずみから噴き上がっている、希代の悪法・特定秘密保護法案廃案、今国会成立などもってのほかという圧倒的な国民の声がどう聞こえているのでしょうか」(中略)「安倍政権がこの世論から逃げ切ったと考えるなら大間違いであります。追いつめつめられているのは、安倍政権と暴走する与党の側であります。たとえ国会多数をたのんで強行しても、法案の施行など許さない、廃止を求める国民のたたかいは一層燃えさかることになるでしょう」と抗議し、採決されてもさらにたたかいを進める決意を表明しました。
http://youtu.be/iYN1wFKbRG4

 日本弁護士連合会は、法案成立後直ちに「特定秘密保護法の採決強行に抗議する会長声明」をだし、「同法案の採決を強行したことは、内容面・手続面いずれにおいても国民主権・民主主義の理念を踏みにじるものであり、到底容認されるものではない」と強く抗議するとともに、「当連合会では、民主主義社会の根幹である国民の知る権利や報道の自由の侵害、重罰化、適性評価によるプライバシー侵害のおそれをはじめとした様々な問題点が残されている同法について、引き続きこれらの問題点の克服のための活動を行っていく所存である」と心強い決意表明をされました。

続きを読む


タグ:秘密保護法